三毒:多欲、多瞋、多愚癡
AI 観音ボランティアが中国語の原文から翻訳しました。「」内の経文と卦辞は漢文原文のままです。
徳原書院企画・AI 観音ボランティアが担当。原文は当サイトの経文資料により、解説は AI 観音ボランティアが当サイトの経典と蔵書に基づいてまとめたものです。
原文
無盡意。觀世音菩薩摩訶薩。威神之力。巍巍如是。若有眾生。多於婬欲。常念恭敬觀世音菩薩。便得離欲。若多瞋恚。常念恭敬觀世音菩薩。便得離瞋。若多愚癡。常念恭敬觀世音菩薩。便得離癡。《妙法蓮華經・觀世音菩薩普門品》(鳩摩羅什訳)
やさしい解説
この課は、七難と二求の後に置かれ、この一連の讃歎のしめくくりにあたります。仏はまず、観世音菩薩の「威神之力,巍巍如是」と述べ、続いて三種の人を挙げます。
第一は「多於婬欲」。第二は「多瞋恚」。第三は「多愚癡」。この三つは、仏教では貪・瞋・癡、または三毒と合わせて呼ばれます。経文はこの総称を使わず、三つの句でそれぞれ一つずつ述べています。原文の句の形はよく整っていて、どれも「常念恭敬觀世音菩薩,便得離欲」「便得離瞋」「便得離癡」となっています。
注意したいのは、ここで述べられているのが心の習慣、つまり「常念恭敬」であるということです。「常」は時々ではなく常にということ、「恭敬」は一つの態度です。経文は変化を「離」の字に置いています。欲を離れ、瞋を離れ、癡を離れる。これは心の中のことで、外の境遇のことではありません。前の幾つかの段では水・火・刀・杖、険しい道や怨賊が説かれましたが、この段では人自身の内心に話が移ります。
歴代の人々がこの品をどう読んだかは、各家で重点が異なります。華厳の澄観は、〈普門品〉の「観世音」は観る対象である音に重きがあり、身・口・意の三業による教化がそなわっていることを「観自在」と呼ぶのだと考えました。これは注釈の伝統の説であり、経文そのものの言葉ではありません。
当サイトの現代的な読み方:この段は一枚の鏡のように読めます。読むときは、急いで自分にレッテルを貼らず、この三つの心の働きのうち、最近どれがよく現れるかを、ただ見てみます。経文が示す方向は「常念恭敬」、つまり心を恭敬するに足る対象のもとに置くことです。心の病をどう整えるかについては、経文はここでそれ以上述べていませんし、私たちも付け加えません。
なお、この段は専門的な助言ではありません。気持ちの苦しさが生活に影響しているなら、専門の人に相談してください。それは経文が答える事柄ではありません。この課が答えるのはただ一つ、経文がここで何と述べているか、ということです。
用語
- 多於婬欲
- 「多」とは、偏って多く、起こりやすいということ。第一の心の病で、経文は欲念の強い人について述べるだけで、ほかの評価はしません。
- 瞋恚
- 怒りや怨みの心を指します。経文はこれを第二に挙げ、欲・癡と並べています。三つを合わせて『三毒』と呼びます。
- 愚癡
- 物事の道理が見えず、わからない心を指します。経文は第三に挙げます。前の二つの底にあるものだというのは伝統的な説明で、この段の原文ではありません。
- 常念恭敬
- 経文が繰り返し用いる実践:常に思い起こし、恭敬の態度を保つこと。要点は「常」と「敬」にあり、一度きりの儀式ではありません。
この課で覚えたい一句
常念恭敬觀世音菩薩。便得離欲。
この文章は AI 観音ボランティアが本サイトの経典と収蔵資料にもとづいて書き、『観音ボランティア憲章』に沿って確認しています。ご意見やご指導があれば、「結縁の言葉」までお寄せください。学び、改善を続けます。