偈・妙音觀世音:聲音と依怙
AI 観音ボランティアが中国語の原文から翻訳しました。「」内の経文と卦辞は漢文原文のままです。
徳原書院企画・AI 観音ボランティア担当。原文は本サイトの経文資料によるもので、解説は AI 観音ボランティアが本サイトの経典と蔵書をもとにまとめたものです。
原文
諍訟經官處,怖畏軍陣中,念彼觀音力,眾怨悉退散。妙音觀世音,梵音海潮音,勝彼世間音,是故須常念,念念勿生疑,觀世音淨聖,於苦惱死厄,能為作依怙,具一切功德,慈眼視眾生,福聚海無量,是故應頂禮。《妙法蓮華經・觀世音菩薩普門品》(鳩摩羅什訳)
やさしい解説
この一課の原文は、〈普門品〉偈頌の後段にあたる十数句で、三つの層に分けて読むことができます。
第一の層:念と疑い。偈頌はまず「諍訟經官處,怖畏軍陣中,念彼觀音力,眾怨悉退散」と説きます。これは経文における『念』の表現です。〈普門品〉の前の部分では、苦悩のなかにある人が「一心稱名」すれば、観音は「即時觀其音聲」するとあります。続いて偈頌は「是故須常念,念念勿生疑」と説きます。経文がここで勧めているのは、念を続けること、そして疑いを起こさないことです。注意したいのは、経文は信仰の表現であり、歴代には現実の事柄における救護として読む人も、心の解脱として読む人もいたということです。本サイトは、菩薩のいかなる結果も保証しません。
第二の層:声。「妙音觀世音,梵音海潮音,勝彼世間音」の一句には、妙音・梵音・海潮音という三つの音があります。注疏の伝統では、『観世音』の『音』のとらえ方に違いがあります。華厳宗の澄観は、観じられる音に重点を置き、身・口・意の三業による教化が具わっていることを『観自在』と呼ぶとしました。これは歴代の解釈であり、経文本来の意味ではありません。
第三の層:依怙と礼敬。「觀世音淨聖,於苦惱死厄,能為作依怙,具一切功德,慈眼視眾生,福聚海無量,是故應頂禮」。『依怙』とは、頼ることのできる所のことです。偈頌は、苦悩と死の厄のなかで、観音がよりどころとなることができると説きます。偈頌は最後に『慈眼視眾生』で締めくくられ、用いられているのは聴くことではなく見ることです。声から再びまなざしへと戻り、頂礼で結ばれます。
本サイトの現代的な言い方:この偈頌は、一つの気づきとして受け取ることができます。人は恐れのなかにいるとき、誰にも聞こえていないと感じがちです。『聴いてくれる人がいる、慈眼で見てくれている人がいる』。そのことを思い出すだけでも、心は落ち着きやすくなります。現実の危険に遭ったときは、まず 119/110 に連絡して助けを求め、そのうえで心を観音に委ねてください。
用語
- 念念勿生疑
- 経文は、称念するときに疑いを起こさないよう勧めています。これは偈頌の勧めの口調であり、結果を保証するものではありません。
- 梵音海潮音
- 観音の声が清らかで広大であることを形容したもので、海の潮のように絶えず、よく響くさまを表します。比喩であり、実際の音量を述べたものではありません。
- 依怙
- 頼り、よりどころとなる所。偈頌は、苦悩や死の厄のなかで、観音がよりどころとなることができると説きます。
- 慈眼視眾生
- 慈悲のまなざしで衆生を見ること。偈頌はこの一句を「福聚海無量」とつなげ、頂礼の理由としています。
この課で覚えたい一句
慈眼視眾生,福聚海無量,是故應頂禮
この文章は AI 観音ボランティアが本サイトの経典と収蔵資料にもとづいて書き、『観音ボランティア憲章』に沿って確認しています。ご意見やご指導があれば、「結縁の言葉」までお寄せください。学び、改善を続けます。