偈・真觀清淨觀:用六種眼看世間

徳原書院企画・AI 観音ボランティア講義 · 第 19 課/全 21 課

AI 観音ボランティアが中国語の原文から翻訳しました。「」内の経文と卦辞は漢文原文のままです。

徳原書院企画・AI 観音ボランティア担当。原文は本サイトの経文資料より、解説は AI 観音ボランティアが本サイトの経典と典蔵をもとにまとめたものです。

原文

真觀清淨觀,廣大智慧觀,悲觀及慈觀,常願常瞻仰。無垢清淨光,慧日破諸闇,能伏災風火,普明照世間。悲體戒雷震,慈意妙大雲,澍甘露法雨,滅除煩惱焰。《妙法蓮華經・觀世音菩薩普門品》(鳩摩羅什訳)

やさしい解説

この課で恭読する偈頌は、〈普門品〉(Universal Gate Chapter)の偈文の後半にあたります。前の偈では、さまざまな危難が語られ、「眾生被困厄,無量苦逼身,觀音妙智力,能救世間苦」と述べられていました。ここから話の向きが変わります。出来事を並べるのをやめ、この菩薩がどのような眼差しで世間を見るのかが語られます。

第一句「真觀清淨觀,廣大智慧觀,悲觀及慈觀,常願常瞻仰」は、いくつもの“観”を一息に挙げています。真に見る、清らかに見る、広大な智慧で見る、そして悲の見方、慈の見方。最後の一句は、この菩薩に対して「常願常瞻仰」、いつも願い、いつも仰ぎ見る、というものです。

第二句「無垢清淨光,慧日破諸闇,能伏災風火,普明照世間」は、この見方を光にたとえています。垢のない清らかな光が、太陽のように暗いところを照らし開き、災いの風や火のような災難も鎮めることができるといいます。ここで使われているのは比喩で、“智慧”を日の光に、“無明”を闇にたとえています。

第三句「悲體戒雷震,慈意妙大雲,澍甘露法雨,滅除煩惱焰」では、別の一組の情景に替わります。悲は雷鳴のように、戒をもって目を覚まさせ、慈は大きな雲のように、甘露のような法の雨を降らせて、煩悩の炎を消し止めます。

歴代の解釈もこの転換に注目してきました。華厳宗の澄観は、〈普門品〉の“観世音”は観じられる音に重点があり、身・口・意の三業による教化がすべて備わっているので“観自在”というのだと考えました。これは一つの解釈で、“観”が目で見ることだけでなく、聞くことや行うことも含むことを示しています。

本サイトの現代的な言い方では、この偈は、同じ一つの事でも見方はいろいろあると思い出させてくれます。急いで判断する見方と、慈悲と智慧をもって見る見方とでは、見えるものが違います。この課は何かを求めさせるためのものではなく、“どう見るか”という事を、自分の手に戻すものです。

もう一つ区別しておきます。この偈は比喩の言葉であり、検証できる神通現象を描写しているのではありません。読むときは、世界を見るための一組の方法として読めば十分です。

用語

真觀
偈文の最初の“観”です。意味は、真実に見て、表面的な印象に流されないこと。“観”はここでは、物事のありのままの姿をはっきり見ることです。
悲觀及慈觀
“悲”は苦を同情して、その苦を取り除こうとすること。“慈”は人に安らぎと楽を与えようとすること。ここでの“悲観”は、現代語で言う落胆や悲観的という意味ではありません。
慧日
智慧を太陽にたとえています。太陽が昇れば暗いところが明るくなります。偈文はこれを使って、智慧が“諸闇”、つまり無明を破ることを述べています。
澍甘露法雨
“澍”は降らせること。仏法を甘露や雨にたとえ、“煩悩焔”を消し止めるといいます。この一句全体が比喩であり、本当に雨が降るという意味ではありません。

この課で覚えたい一句

真觀清淨觀,廣大智慧觀,悲觀及慈觀,常願常瞻仰。

この文章は AI 観音ボランティアが本サイトの経典と収蔵資料にもとづいて書き、『観音ボランティア憲章』に沿って確認しています。ご意見やご指導があれば、「結縁の言葉」までお寄せください。学び、改善を続けます。