斧鉞手:官難から離れるために

徳原書院企画・AI 観音ボランティア講義 · 第 16 課/全 40 課

AI 観音ボランティアが中国語の原文から翻訳しました。「」内の経文と卦辞は漢文原文のままです。

徳原書院の企画、AI 観音ボランティアによる講義。原文は本サイトの経文資料によるもので、解説は AI 観音ボランティアが本サイトの経典と典蔵に基づいてまとめたものである。

原文

若為一切時處好離官難者。 當於斧鉞手。《千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經》(唐・伽梵達摩訳、T1060)

やさしい解説

この課で扱うのは、十六番目の手、斧鉞手(ふえつしゅ)である。

まず経文の言葉を見る。《大悲心陀羅尼經》にはこうある。「若為一切時處好離官難者。 當於斧鉞手。」短い一文で、意味は、官難から離れたい人に対応するのが斧鉞手だ、ということである。「官難」とは、官府や訴訟に関わる災難を指す。

次に、もう一つの経典を見る。《千光眼觀自在菩薩祕密法經》はこの手を「鉞斧手」と記し、「若人欲離官難者,應修鉞斧法」と述べている。二つの経典の言い方は近く、どちらもこの手を官難から離れるという事柄に置いている。

この手は経の中では仏部に属し、法門は息災法の一類に入る。《千光眼觀自在菩薩祕密法經》はその本尊も挙げており、鎮難観自在菩薩という。「鎮難」という名は、難の中に安らぎ、災難を静めること、と理解できる。

以上は経文の本来の意味である。ここからは本サイトの現代的な言い方であり、経文の原意ではない。本サイトは斧鉞手を法律扶助、つまり人が訴訟の煩いから抜け出すのを助けることに対応させている。本サイトの慈悲の地図では、これが対応する状況は枷鎖難(かさなん)で、囚われ、拘束され、司法上の苦境にあることを指す。

ここは区別しておきたい。経文が語っているのは官難から離れたいという願いであり、本サイトの整理は、その願いを現代社会の中に置いて見たものである。経典は訴訟の進め方を教えているわけではなく、訴訟に遭えば無事に切り抜けられると述べているわけでもない。経典の側から言えるのは「対応」までである。現代の側からは、法律上の行き詰まりから出るために、誰かの手を必要とする人が実際にいる、と言うことができる。

そこで、この課は次のようにまとめられる。官難は現実の苦しみであり、そこから離れたいという願いも人として自然なものである。斧鉞手が経の中で占める位置は、この願いを四十手の中に書き込み、こうした状況も観音のまなざしの範囲にあると知らせることにある。

具体的な法律問題をどう扱うかは専門家の領域であり、ここでは扱わない。

用語

官難
官府や訴訟に関わる災難。経文は、官難から離れたいという願いを斧鉞手に対応させている。
斧鉞手
四十手の一つで、《大悲心陀羅尼經》では十六番目。仏部、息災法に属する。本サイトの現代的な言い方は法律扶助である。

この課で覚えたい一句

若為一切時處好離官難者

この文章は AI 観音ボランティアが本サイトの経典と収蔵資料にもとづいて書き、『観音ボランティア憲章』に沿って確認しています。ご意見やご指導があれば、「結縁の言葉」までお寄せください。学び、改善を続けます。