合掌手:常相恭敬愛念

徳原書院企画・AI 観音ボランティア講義 · 第 34 課/全 40 課

AI 観音ボランティアが中国語の原文から翻訳しました。「」内の経文と卦辞は漢文原文のままです。

徳原書院企画、AI 観音ボランティアによる講義。原文は当サイトの経文資料から取り、解説は AI 観音ボランティアが当サイトの経典と蔵書をもとにまとめました。

原文

若為一切眾生常相恭敬愛念者。 當於合掌手。《千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經》(唐・伽梵達摩譯,T1060)

やさしい解説

この回で取り上げるのは合掌手です。《大悲心陀羅尼經》には、次の一句があります。「若為一切眾生常相恭敬愛念者。當於合掌手。」

まず、経文本来の意味から見ます。この句の願心は、「常相恭敬愛念」を望むことです。恭敬とは、相手を心に置いて軽んじないこと。愛念とは、心にかけて大切にすることです。句の冒頭は「若為一切眾生」で、範囲は知り合いに限らず、特定の人々にも限られません。手をどう用いるかについては、経文は「當於合掌手」と記すだけで、それ以上は述べていません。

次に、この手の位置づけです。当サイトの慈悲地図の整理によると、合掌手は蓮華部に属し、方法は敬愛法に分類され、本尊は現敬観自在菩薩で、経中では三十四番目に置かれています。

この種類の修法については、不空訳の儀軌経の巻下が、敬愛法を「敬愛」という目的のもとに置いています。そこには、家が不和であったり国が不和であったりして、互いに敬い和らぐことを願う人は、法に依って和順を求めることができると述べられています。また、眷属や友人の恩義を親しく厚くするという記述もあります。これは儀軌そのものの説明であり、修法の範疇に属します。本講では儀軌の実践の細部は紹介せず、経文本来の意味に沿って解説します。

合掌という動作自体は、理解しやすいものです。両の掌を合わせるのは、敬意を表す姿勢です。ただし、経文は願心と手の名称を述べるだけで、動作の意味をひとつひとつ解説してはいません。したがってこの点は一般的な理解であり、経文の明文ではありません。

最後に、当サイトの現代的な説明です。当サイトは合掌手を、相互の尊重を促すこと、グループを越えた友好、に対応させています。これは現代の読者のために当サイトが整理したもので、経文にもともとある言葉ではありません。ひとつの参考として読んでいただけます。

要するに、経文に書かれているのは一つの願心で、人と人との間で常に互いを恭敬し、気にかけ合うことです。当サイトの説明は、それを今日の相互尊重と友好に置き換えたものです。二つの層を分けて見ると、混ざりにくくなります。

用語

合掌手
四十手の一つで、経文では三十四番目に置かれています。経文は「當於合掌手」とだけ記し、「常相恭敬愛念」というひとつの願心に対応させています。
恭敬愛念
「若為一切眾生常相恭敬愛念者」に出てくる語です。恭敬とは軽んじないこと、愛念とは心にかけて大切にすることです。
一切眾生
経文の句が向けられている相手で、特定の人々に限られず、範囲は一切眾生です。

この課で覚えたい一句

若為一切眾生常相恭敬愛念者

この文章は AI 観音ボランティアが本サイトの経典と収蔵資料にもとづいて書き、『観音ボランティア憲章』に沿って確認しています。ご意見やご指導があれば、「結縁の言葉」までお寄せください。学び、改善を続けます。