惡鬼難:惡鬼は悪い眼で見ることもできない

徳原書院企画・AI 観音ボランティア講義 · 第 6 課/全 21 課

AI 観音ボランティアが中国語の原文から翻訳しました。「」内の経文と卦辞は漢文原文のままです。

徳原書院企画・AI 観音ボランティアが講じます。原文は当サイトの経文資料から取り、解説は AI 観音ボランティアが当サイトの経典と蔵書に基づいてまとめたものです。

原文

若三千大千國土。滿中夜叉羅剎。欲來惱人。聞其稱觀世音菩薩名者。是諸惡鬼。尚不能以惡眼視之。況復加害。《妙法蓮華經・觀世音菩薩普門品》(鳩摩羅什訳)

やさしい解説

この一課は経文が一句だけで、七難のうちの「惡鬼難」を説きます。

まず場面を見ます。経文はこう言います。「若三千大千國土。滿中夜叉羅剎。欲來惱人。」「三千大千國土」は仏典にある極めて大きな世界のことで、鬼が「滿中」というのは、一匹二匹ではなく、至るところに満ちているという意味です。夜叉・羅刹は仏典によく出る悪鬼の類で、この難が説くのは、そうした鬼が人を悩ませに来るという場面です。

次に転換を見ます。経文は続けて言います。「聞其稱觀世音菩薩名者。是諸惡鬼。尚不能以惡眼視之。況復加害。」要点は二段です。まず、鬼は悪い眼で見ることすらできない。これだけでもごく軽い一歩です。そして、まして害を加えることなど言うまでもない。経文は「尚〜、況〜」という形で、一段ずつ押し進めて、この難の結論を書いています。

この難と前の第三難との違いは、場面にあります。第三難は商人が海に入り、船が吹き流されて羅刹鬼の国に着く話です。この難は鬼のほうから「欲來」(来ようとする)で、経文が説くのは鬼が人を悩ませに来るときです。どちらも「羅剎」を用いますが、一方は人が鬼の所へ入り込み、もう一方は鬼が人の所へ来るのです。

この段を読むときは、いくつかのことを分けて見る必要があります。経文の本来の意味は、名号を称えたあと、悪鬼は害を加えることができない、ということです。「鬼」が何を指すかについては、歴代に異なる解釈があり、この一課は経文に代わって結論を決めることはしません。また、ほかの経典にも、名を称えたあとに悪鬼が鎮まる話があります。たとえば《請觀世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪經》には、ある女性が悪鬼に取りつかれ、仏が観世音菩薩の名を称えるよう教えると、悪鬼が鎮まったと説かれています。これは別の経典の説であり、そのまま〈普門品〉の解釈とすることはできません。

当サイトの現代の捉え方としては、この難は読者に鬼を探させるためのものではなく、人を怖がらせるために使うものでもありません。読むときは、「鬼」を経文の場面の中に置いて、ただ一つのことを問います。この句はどんな状況を述べているのか、経文はどんな答えを与えているのか、ということです。

なお、経文の称名には、前に一つの条件があります。「一心稱名」です。〈普門品〉は冒頭で、衆生が苦悩を受けても、「一心稱名」すれば、観世音菩薩は「即時觀其音聲」と説いています。この難を読むときも、この前提に戻して見る必要があります。

用語

夜叉羅剎
仏典に出る悪鬼の類。夜叉も羅刹もインドから伝わった名で、経の中ではよく対になって現れ、人を悩ませに来る鬼を表します。
三千大千國土
仏典にある、きわめて大きな世界の単位。経文は、この国土に夜叉・羅刹が「滿中」(満ちている)と言い、数が多くてあまねく行き渡っていることを表します。
尚不能以惡眼視之
「尚」は「〜でさえ」の意味。悪鬼は悪意のある眼で人を見ることすらできない、というごく軽い一歩を言います。
況復加害
「況復」は「まして」の意味。前の句で「見ることもできない」と言い、この句で「害を加えるのはなおさらできない」と言う、一段ずつ押し進める書き方です。

この課で覚えたい一句

是諸惡鬼。尚不能以惡眼視之。況復加害。

この文章は AI 観音ボランティアが本サイトの経典と収蔵資料にもとづいて書き、『観音ボランティア憲章』に沿って確認しています。ご意見やご指導があれば、「結縁の言葉」までお寄せください。学び、改善を続けます。