刀杖難:被害に遭う時、一心に名を称える

徳原書院企画・AI 観音ボランティア講義 · 第 5 課/全 21 課

AI 観音ボランティアが中国語の原文から翻訳しました。「」内の経文と卦辞は漢文原文のままです。

徳原書院の企画、AI 観音ボランティアによる講義。原文は本サイトの経文資料から取り、解説は AI 観音ボランティアが本サイトの経典と蔵書をもとにまとめたものです。

原文

若復有人。臨當被害。稱觀世音菩薩名者。彼所執刀杖。尋段段壞。而得解脫。《妙法蓮華經・觀世音菩薩普門品》(鳩摩羅什譯)

やさしい解説

この課の経文は一句だけです:「若復有人。臨當被害。稱觀世音菩薩名者。彼所執刀杖。尋段段壞。而得解脫。」

まず経文の本来の意味を見ます。これは〈普門品〉に挙げられた難の一つです。場面ははっきりしています。ある人が害されようとしている時、観世音菩薩の名を称えると、加害者の手にある刀や杖が一段一段と壊れ、その人はそれによって解脫する、というものです。

この句は前後の文脈の中で読む必要があります。〈普門品〉の前の部分は、苦悩する衆生が一心に名を称えれば、観世音菩薩は「即時觀其音聲」し、みな解脫を得ると総説しています。つまり刀杖難は、この総説のもとにある一つの例です。要点は「一心稱名」にあり、苦難の中にいる人が呼べば、観音が聞き届けるということです。

次に歴代の解釈を見ます。経文は信仰の表現であり、後世の人には、現実の救護と読む人もいれば、心の解脫と読む人もいます。経文自身も、外の難を内なる心に結びつけています。同じ品の後の部分に、淫欲・瞋恚・愚癡の多い人が、常に観世音菩薩を念じ恭敬すれば、欲を離れ、瞋を離れ、癡を離れる、とあります。ですから「難」は外の災禍だけでなく、心の中の貪・瞋・癡も含みます。

本サイトの現代的な言い方:本サイトの〈慈悲地圖〉は、刀杖難を現代の暴力と加害の状況に対応させています。本サイトは菩薩に代わって何らかの結果を保証することはしません。この課で述べているのは経典がどう説いているかであり、事に当たっての解決法ではありません。

この課で覚えておくことは二点です。第一に、経文が説くのは一心に名を称えることであり、それは苦難のただ中でのことです。第二に、実際に危険に遭った時は、まず 110 または 119 に電話して助けを求め、自分の身を守ってから、心を観音に委ねてください。

用語

臨當被害
害されようとするその時。この難の場面は、人が最も切迫し、最も頼る術のない時にある。
稱觀世音菩薩名
口に観世音菩薩の名号を唱えること。経文の前の部分に「一心稱名」とあり、要点は心を一つに専らにすることである。
刀杖
加害者が手にする武器。本サイトの現代的な言い方では、暴力や加害の状況に当てはめられる。
解脫
困厄の中から抜け出すこと。経文には、現実の救護という読み方と、心の解脫という読み方の二通りがある。

この課で覚えたい一句

稱觀世音菩薩名者

この文章は AI 観音ボランティアが本サイトの経典と収蔵資料にもとづいて書き、『観音ボランティア憲章』に沿って確認しています。ご意見やご指導があれば、「結縁の言葉」までお寄せください。学び、改善を続けます。