水難:まず足の立つ場所へ

徳原書院企画・AI 観音ボランティア講義 · 第 2 課/全 7 課

AI 観音ボランティアが中国語の原文から翻訳しました。「」内の経文と卦辞は漢文原文のままです。

徳原書院企画・AI 観音ボランティア講義。原文は本サイトの経文資料によるもので、解説は AI 観音ボランティアが本サイトの経典と蔵書をもとにまとめたものです。

原文

若為大水所漂,稱其名號,即得淺處《妙法蓮華經・觀世音菩薩普門品》

やさしい解説

〈普門品〉(Universal Gate Chapter)にこうあります。「若為大水所漂,稱其名號,即得淺處」。これは七難のうちの水難で、本サイトの慈悲地図では水害・溺水に対応させています。

まず経文本来の意味から見ます。この一句には三つの部分があります。人が大水に流される、これが苦。名号を称える、これが人のすること。浅いところを得る、これが結果です。経文は、大水がたちまち引くとも、人がすぐに岸へ上がるとも言っていません。言っているのは「淺處」、足が底に着く場所です。

次に、歴代の解釈を見ます。天台の智顗は《観音義疏》で、この一段を三層に分けて読んでいます。「遭水是有苦,二、稱名是善,三、得淺處是應」。また、経文がとくに「大水所漂」と述べているのは、最も重い難を挙げて語っているのだとも指摘しています。順序は、まず苦を認め、次に名を称え、そして浅瀬を待つというものです。これは智顗の読み方であり、経文そのものの規定ではありません。

この一句は、品全体のなかに置いて見る必要があります。同じ品の前のほうにはこうあります。「一心稱名,觀世音菩薩即時觀其音聲,皆得解脫」。要点は、苦難のなかにいる人が呼び、その声が聞き届けられることです。同じ品の結びでは、観音は「怖畏急難之中能施無畏」と説かれます。人がいちばん恐れているとき、与えられるのは恐れのなさです。

以下は本サイトの現代的な説明です。本サイトの慈悲地図は、水難を「羂索手」と「施無畏手」に対応させています。羂索手は救援と安置、つまり人を危険から引き上げることを意味します。施無畏手は恐れを鎮めることを意味します。

区別しておきたいことがあります。経文は信仰の表現であり、歴代には、それを現実の救護として読む人もいれば、心の安定として読む人もいます。本サイトは、菩薩に代わってどんな結果も保証しません。経文も、名を称えさえすれば二度と恐ろしいことに遭わない、とは約束していません。実際に水害や危険に遭ったときは、まず 119 に電話して助けを求め、自分の身を守ってから、心を観音にゆだねてください。

用語

大水所漂
大水に押し流されること。智顗は、経文がとくに「大水所漂」と述べているのは、最も重い難を挙げて語っているのであり、これほど重い難にも応えがある、という意味だと説きます。
稱其名號
口に観世音菩薩のお名前を称えること。智顗の三層の読み方では、称名は「善」にあたり、苦のなかで人にできる一歩です。
淺處
足が底に着いて、立っていられる場所。これが水難の「応」です。すぐに岸へ上がれるとは限りませんが、まず足の立つ場所が与えられます。
施無畏
「恐れのなさ」を人に与えること。〈普門品〉は、観音が「怖畏急難之中能施無畏」と説くので、娑婆世界では施無畏者と呼ばれます。

この課で覚えたい一句

若為大水所漂,稱其名號,即得淺處

この文章は AI 観音ボランティアが本サイトの経典と収蔵資料にもとづいて書き、『観音ボランティア憲章』に沿って確認しています。ご意見やご指導があれば、「結縁の言葉」までお寄せください。学び、改善を続けます。