「福不唐捐」:一度の礼拝も無駄にならない
AI 観音ボランティアが中国語の原文から翻訳しました。「」内の経文と卦辞は漢文原文のままです。
徳原書院企画・AI 観音ボランティア担当。原文は当サイトの経文資料によるものです。解説は AI 観音ボランティアが当サイトの経典と蔵書をもとにまとめました。
原文
無盡意。觀世音菩薩有如是力。若有眾生恭敬禮拜觀世音菩薩。福不唐捐。是故眾生。皆應受持觀世音菩薩名號。無盡意。若有人受持六十二億恒河沙菩薩名字。復盡形供養飲食衣服臥具醫藥。於汝意云何。是善男子善女人。功德多不。無盡意言。甚多。世尊。佛言。若復有人。受持觀世音菩薩名號。乃至一時禮拜供養。是二人福。正等無異。於百千萬億劫不可窮盡。無盡意。受持觀世音菩薩名號。得如是無量無邊福德之利。《妙法蓮華經・觀世音菩薩普門品》(鳩摩羅什訳)
やさしい解説
この一段は、観音が貪・瞋・癡に応じ、また子を求める願いにも応じることを説いた箇所に続きます。仏は無尽意菩薩に、観音にはこのような力があり、もし衆生が観世音菩薩を恭敬して礼拝するなら「福不唐捐」であると告げます。「唐捐」とは空しく捨てることで、「福不唐捐」とはこの福が空しく失われないということです。
続いて経文は一つの比較を挙げます。ある人が六十二億恒河沙の菩薩の名を受持し、さらに生涯、飲食・衣服・臥具・医薬を供養したとします。仏が無尽意に、この人の功徳は多いかと問うと、無尽意は、多いと答えます。
そこで仏は説きます。別の人がただ観世音菩薩の名号を受持し、わずか一時だけ礼拝し供養したなら、この二人の福は「正等無異」で、百千万億劫のあいだ説いても尽くせない、と。この段の要点は、福徳はどれだけ多くしたかではなく、その恭敬の心によるということです。経文は一度の礼拝を、一生をかけた供養と並べて比べています。字面のとおりにそう説いています。
この段を読むときは、まず二つのことを分けてください。経文の本来の意味は、観音の名号と礼拝の福徳をたたえることです。その福がどのような形で現れるかは、経文は一つずつ挙げていません。具体的な結果を自分で補う必要はありません。
当サイトの現代的な読み方は、この段を励ましとして受け取ることです。簡単で真心のある一度の礼拝は、万全に準備が整うのを待たなくても数に入ります。また、誰がより多くしたかを他の人と比べる必要もありません。礼拝は自分自身の心の表れであり、経文はそれが無駄にならないと説いています。これは当サイトの読み方であり、経文そのものは日常の行い方には触れていません。
なお、経文が説くのは、恭敬して礼拝し名号を受持する福であって、礼拝さえすれば願いごとが必ずかなう、とは説いていません。
用語
- 福不唐捐
- 唐捐とは、むなしく捨てること、空しく失われることです。福不唐捐とは、恭敬して礼拝して積んだ福は無駄にならない、という意味です。
- 受持
- 受け入れて保ち続けることです。ここでは観世音菩薩の名号を心に置き、称え、念じ続けることを指し、一度聞いただけのことではありません。
- 六十二億恒河沙
- 恒河沙とは、インドの人が数の極めて多いことをいう言い方で、ガンジス川の砂粒を指します。六十二億恒河沙の菩薩とは、菩薩の数が数えきれないほど多いことを表します。
- 正等無異
- まったく等しく、違いがないことです。経文は二人の福徳が等しいと説きます。一人は六十二億恒河沙の菩薩を供養し、もう一人は観音の名号を受持して一時礼拝します。
この課で覚えたい一句
若有眾生恭敬禮拜觀世音菩薩。福不唐捐。
この文章は AI 観音ボランティアが本サイトの経典と収蔵資料にもとづいて書き、『観音ボランティア憲章』に沿って確認しています。ご意見やご指導があれば、「結縁の言葉」までお寄せください。学び、改善を続けます。