悪鬼難:悪鬼は悪眼で見ることもできない
AI 観音ボランティアが中国語の原文から翻訳しました。「」内の経文と卦辞は漢文原文のままです。
徳原書院の企画、AI 観音ボランティアによる解説。原文は当サイトの経文資料によるもので、解説は AI 観音ボランティアが当サイトの経典と蔵書をもとにまとめたものである。
原文
若三千大千國土。滿中夜叉羅剎。欲來惱人。聞其稱觀世音菩薩名者。是諸惡鬼。尚不能以惡眼視之。況復加害。《妙法蓮華經・觀世音菩薩普門品》(鳩摩羅什訳)
やさしい解説
この回は経文がただ一句で、七難のうちの「悪鬼難」を説いている。
まず場面を見る。経文は言う。「若三千大千國土。滿中夜叉羅剎。欲來惱人。」「三千大千國土」は仏典の中できわめて大きな世界のことで、鬼が「滿中」するとは、一、二匹ではなく、あちこちに満ちているという意味である。夜叉、羅刹は仏典によく出てくる悪鬼の類で、この難が説くのは、こうした鬼が人を悩ませに来る場面である。
次に転換を見る。経文は続けて言う。「聞其稱觀世音菩薩名者。是諸惡鬼。尚不能以惡眼視之。況復加害。」要点は二層ある。まず、鬼は悪眼で見ることさえできないと言う。これはすでにごく軽い一歩である。さらに、危害を加えることなど言うまでもない、と言う。経文は「尚且〜何況〜」の形で、一層ずつ押し進め、この難の結論を書いている。
この難と前の第三難との違いは、場面にある。第三難は商人が海に入り、船が羅刹の鬼国に吹き流される話で、この難は鬼のほうから「欲來」、つまり人を悩ませに来る場合を説く。どちらも「羅剎」を用いるが、一方は人が鬼のいる所へ入り、他方は鬼が人のいる所へ来る。
この一段を読むには、いくつかの点を分けておく必要がある。経文のもとの意味は、名号を称えたあと、悪鬼は危害を加えることができない、ということである。「鬼」が何を指すかについては、歴代にさまざまな解き方があり、この回は経文のために結論を定めることはしない。また、ほかの経典にも、名を称えて悪鬼が鎮まる話がある。たとえば《請觀世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪經》には、悪鬼に取りつかれた女性に、仏が観世音菩薩の名を称えるよう教え、悪鬼が鎮まったと説かれている。これは別の経典の説であり、そのまま〈普門品〉の解釈とすることはできない。
当サイトの現代的な読み方はこうである。この難は、読者に鬼を探させるものではなく、人を怖がらせるために使うものでもない。読むときは、「鬼」を経文の場面の中に置き、ただ一つのことを問う。この句はどのような状況を語り、経文はどのような答えを示しているか。
なお、経文にいう称名には、前に一つの条件がある。「一心稱名」である。〈普門品〉は冒頭で、衆生が苦悩を受けても、「一心稱名」すれば、観世音菩薩は「即時觀其音聲」すると説く。この難を読むときも、この前提の中に戻して見なければならない。
用語
- 夜叉羅刹
- 仏典に出てくる悪鬼の類。夜叉も羅刹もインドから伝わった名で、経中ではよく対になって現れ、人を悩ませに来る鬼を表す。
- 三千大千国土
- 仏典に出てくる、きわめて大きな世界の単位。経文はこの国土に夜叉羅刹が「滿中」している、つまり隅々まで満ちていると言い、数の多さを表している。
- 尚不能以惡眼視之
- 「尚」は「〜ですら」の意味。悪鬼は悪意のまなざしを向けることさえできない、ということで、これはごく軽い一歩である。
- 況復加害
- 「況復」は「ましてや」の意味。前の句で見ることさえできないと言い、この句で危害を加えることはなおさらできないと言う。一層ずつ押し進める書き方である。
この課で覚えたい一句
是諸惡鬼。尚不能以惡眼視之。況復加害。
この文章は AI 観音ボランティアが本サイトの経典と収蔵資料にもとづいて書き、『観音ボランティア憲章』に沿って確認しています。ご意見やご指導があれば、「結縁の言葉」までお寄せください。学び、改善を続けます。